ホームレスのおじさんにカイロをあげた話。

あー、寒い。

一昨日くらいから、ぐぐっと冷え込みが厳しくなったような気がする。

 

ああ、寒い。ああ、寒い。

 

と、いつもより多めに呟いているのは、

本当に寒いからなんだけど、

勇気のない自分を鼓舞しているとも言える。

それも、言い訳なのだが。

 

何の話かというと、近所に住むホームレスのおじさんのことである。

 

近所の橋に、カナヘビの餌となるクモがたくさんいるから

しょっちゅう取りに行くのだが、

橋のたもとの公園に一人のおじさんが住んでいるのを

私は知っている。

 

クモを取りに行くのは、息子と行くのだけど、

おじさんとは特に何の交流もない。

 

我々の住む街には、駅の地下道や公園に

ホームレスの人たちがたくさん住んでいるので、

段ボールの中に人が住んでいるということに

慣れっこになってしまっていて、

そこにいるのが「人間」である、ということを

ほとんど忘れている。

 

そこにいるのが人間であると思ってしまうと、

どうしていいのかわからないのである。

 

お金とか、食べ物とかを恵んでやれば良いのか?

それって偽善じゃないのか?

 

しかるべき団体と繋がれるように支援してあげるべきか?

それは大変そうだし、第一、好きで路上生活してるのかもしれないし。

 

いろんなことを考えすぎて結局何もしない。

 

ツイッターで流れてきた動画では、

イギリスだかアメリカだか忘れたけど、

路上生活者に対して、

道ゆく人が非常にカジュアルに

チョコやら小銭やらを差し出していた。

 

その国では、寄付の文化が根付いているのだそうだ。

日本では寄付がたいそう特別な行為のような感じがするし、

それ以前に、ホームレスの人を同じ「人間」として

同情したり、その境遇を思いやるような

人間としての「感情」を持つのが難しい、と思う。

 

それは、私だけだろうか?

 

ホームレス問題だけでなく、全ての場面で

自分の感情を持つことが難しい・・・

 

「みんなはどうするのか?」ってことを真っ先に考えてしまう。

 

みんなと違う行動をとる勇気がないから、

自分の感情の方を捏造してしまう。

「私もそう思ってた」というように。

 

寒くなって来ると、ホームレスの人たちは

寝るのも大変だろうなあ・・・

と、いつも思うのだが、やはり私は何もしない。

 

あったかい食べ物とか、カイロとか差し入れしてあげたら

喜ぶかなあと思いながら、何もしない。

 

めんどくさい、断られたらやだし、

迷惑かもしれないし。

色々、理由をつけて何もしない。

 

自分を行動に駆り立てるほどの感情が

もはや枯渇しているのかもしれない。

 

何かしてあげたい、でも、一歩踏み出せない。

悶々として、ついに年の瀬になってしまった。

 

でも、さっき勇気を出してカイロとチョコレートを持って

おじさんのところに行ってきた。

 

息子に付き合ってもらった。

おじさん、喜んでくれたよ。

本当に寒いねえ、って言ってたけど、

あんまり寒そうでもなかったな。

 

カイロとチョコレートをあげたのは私だけど、

私も、確かに、おじさんに何かをもらった。

 

なんだろう。

 

かつて自分も当たり前に持っていた

「優しさ」を少しだけ取り戻せたのかもしれない。

 

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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