【読書感想】アーノルド・ローベル作 『おてがみ』(『ふたりはともだち』収録)

かえるくんとがまがえるくんの友情

この作品は、小学校二年生の国語の教科書に載っていました。

 

一回読んで、これはすごく良いお話だなあ、と感動して、

短編集『ふたりはともだち』『ふたりはいつも』を購入しました。

 

どちらも、がまがえるくんとかえるくんの友情がテーマの短編が

収録された作品集です。

 

しっかりもので優しいかえるくんと、

メランコリックで偏屈で出不精のがまがえるくん・・・

と書くと、随分がまがえるくんが面倒臭い奴って印象でしょうか。

 

でも、ふたりは親友、いつでも一緒です。

あらすじ

『おてがみ』という話は、がまがえるくんが

悲しそうに玄関の前に座っているシーンから始まります。

 

かえるくんが訳を尋ねると、

自分は未だかつてお手紙をもらったことが一度もなく、

毎日、まだ見ぬお手紙が届くのを待ち続けている。

 

その待っている時間がたまらなく不幸せなのだという。

それで、かえるくんも一緒にお手紙を待つことにします。

 

ふたりとも かなしいきぶんで げんかんのまえに

こしを おろして いました。

 

すると、かえるくんは急に、

やることがあるから、とお家に帰ってしまいます。

 

家に帰るとかえるくんは、がまがえるくん宛てに手紙を書きます。

 

そして、知り合いのかたつむりくんに、

がまがえるくんの家に届けてくれと頼みます。

 

 

それからかえるくんは、がまがえるくんの家に戻りました。

 

今日はお手紙がくるかもしれないよ、というかえるくんに

がまがえるくんは、今までも来なかったから、今日も同じだ、と答えます。

 

そこで、かえるくんは自分が手紙を出したから、

手紙はきっと来るよと言います。

 

ふたりは、かたつむりくんが到着するまでの4日間、

とても幸せな気持ちでお手紙を待ちました。

 

感想

がまがえるくんみたいに、訳もなく孤独な感じがして

悲しくなってしまうこと、私にもあります。

 

きっとみんな、そういう時ってあるんじゃないでしょうか。

 

そんながまがえるくんの悲しみに、

かえるくんは真剣に向き合って、

まず、一緒に座って、友と同じ悲しみを自分も感じます。

 

そして、その悲しみを知った上で、

自分ができることは?って考えたんだと思います。

 

「来ないお手紙」を待つ時間は、二人でも悲しい。

では、「来るお手紙」を二人で待つ時間は?

 

きっと、楽しい、幸せな時間になる筈です。

 

大抵のお友達なら、

お手紙が来る/来ないに関わらず、

自分はそばにいるのだから、

悲しむ必要はない・・・とまず言葉で説得しようとするでしょう。

 

かえるくんの素晴らしいところは、

がまがえるくんの悲しみも喜びも全部、

自分のものとして感じようとするところかなあと思います。

 

かえるくんは、サプライズお手紙で喜ばせようとか、

手紙の内容は、読んでからのお楽しみだよ、とか

そんな自分本位な考えは全くせず、

全部の過程を、がまがえるくんと二人で共有するのです。

 

その結果、お手紙を待つ悲しい時間は、

二人の幸せな時間に変わりました。

 

ほんと、こんな友達いたらどんなに幸せだろう・・・

もちろん、私にはこんな親友はいません。

 

現実世界では、がまがえるくんである我々には、

多分誰にだって、かえるくんみたいな友達はいないのです。

 

でも、お話の中には、かえるくんはいる。

理想の親友が、ここにはいる。

優れた児童文学が描く、完璧な理想の世界は

現実世界の私たちを時に励まし、力づけてくれます。

 

そう考えるとこの作品そのものが、

かえるくんみたいな存在なのかもしれません。

かたつむりくん問題

このお話の中で、重要な役割を担っているのが

お手紙を運ぶかたつむりくんだと思います。

 

このお話の読者の多くは、

「なんで、歩みが遅いのに定評のあるかたつむりくんに、

配達を頼むんだよ〜!」と歯痒い思いをするに違いないのです。

 

そこに作者の意図があるかどうかはわかりません。

でも、それは良い問いかけだなーと私は思います。

学校では、この作品でどんな授業をしてるんだろう?

 

みんなが総ツッコミするこのかたつむり問題、

「じゃあ誰が適任なんだ選手権」を勝手に開催してみました。

 

 

①とにかく速い!チーターエクスプレスに配達を依頼した場合

かえるくんががまがえるくんの家に戻るより前に手紙が着いてしまう。
その結果、二人で手紙を待つ幸せな時間はなくなる。

②信頼と実績!迅速・丁寧なハトさん郵便に頼んだ場合

郵便配達といえばやっぱりハトさん。おそらく凡庸な作者の多くは
ハトさんに手紙を託すのではないでしょうか。
その場合、作品もやっぱり凡庸なものになるでしょう。

③三歩歩くと忘れちゃうのが悩みのニワトリさんにお願いしたら。

「まかせといて!さあ出発!・・・あ、おいしそうな青虫さん。
仕事の前に腹ごなしよ。ムシャムシャ・・・。
さあがんばるわ・・・。ええと、なにをどうするんだっけ?」

そして、ニワトリさんは失くした記憶を取り戻す旅に出たのでした。

④手紙といえばこの人!ヤギさん郵便だったら。

読まずに食べちゃってから、かえるくんのところに
「さっきのお手紙御用はなあに?」とお手紙が届く。

 

考え始めたら楽しすぎて、いくらでも思いつきそうです。

授業でみんなで意見を出し合ったら、面白そうですね。

かたつむりくんが適任で、ハトさんじゃダメな理由

もし、お手紙を届ける役がかたつむりくんではなくて、

ハトさんだったら、多分違和感を感じる人はいなかったでしょう。

 

でも、ハトさんだったら感動も少なくなるだろうな、と

私は思いました。

 

手紙って、例えば戦国時代だったら、刻々と変わる戦況を

使者が夜通し馬を駆って武将に届けるとか、

現代だったら結婚式の招待状とか、

伝えたいメッセージに有効期限がある場合が圧倒的に多いと思います。

 

この場合、メッセージは単なる情報で、

速く伝わるほどその価値は高くなります。

 

ハトさんは、現実世界で伝書鳩として働いている実績もあり、

この種の、「情報としての手紙」を、

迅速かつ正確に届けてくれるイメージです。

 

一方、かえるくんのお手紙は、

届けるスピードによって価値が変わるものではない、

いわば普遍的なメッセージです。

 

ぼくは きみが ぼくの しんゆうで ある ことを

うれしく おもっています。

 

このメッセージは、明日届いても、100年後に届いても、

その価値は変わらないし、

何回届いても、毎日届いても、嬉しいものです。

 

そしてこのメッセージこそ、作者のアーノルド・ローベルが

世界中の子供たち、

それからかつて子供だったはずの大人たちに

届け!と物語に託したメッセージに他ならないのではないでしょうか。

 

少なくとも、私はそう受け取りました。

 

アーノルド・ローベルがアメリカで原著を書いたのが1970年、

2019年の日本にいる私に、およそ半世紀かけて

お手紙が届いた。

 

すごく幸せな気分です。

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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