イナゴが・・・
10月から飼っているイナゴが急死した。
あんなに元気だったのに。
実は、その数日前に、イナゴのお部屋を
それまで使用していたタッパーからアクリルケースに
変えたのだった。
タッパーに住んでいた時は、
下にキッチンペーパーを引いて、
3日くらいで交換していた。
フンで汚れるのだ。
土があれば、取り換える必要もない。
イナゴはそもそも地面の上で生活してたわけだから、
多分喜ぶ。
それに土はあったかいし!
すごくグッドアイディアだと思って、
見通しの良いアクリルケースを新調した。
届いたアクリルケースは思ったよりチープだったけど、
前のタッパーよりかっこいい感じだ。
絶対、イナゴは喜んでるに違いない!と思っていたら、
昨日の朝、
草を取り替える時にイナゴが地面に横になっていて・・・。
もう、虫の息だった。
何がいけなかったんだろう?
アクリルのケースは温度が低いのかな?
透明なアクリルのケースに激突して負傷したのかもしれない。
触覚が一本失われていたのだ。
カタツムリを同居させたのも悪かったのか?
もう1匹のイナゴは元気だから、
ケースに激突説が濃厚かなあ・・・。
でも真相はわからず。
絶対越冬すると思っていたから、ショック。
虫をみてるとすごい生命力だなあと感服するのだが、
そうかと思うと、いともあっけなく死んでしまう。
虫に限らず、命はそんなものなのかもしれない。
一方、アカホシゴマダラは・・・
11月20日に家に来たアカホシゴマダラという蝶は、
特定外来生物の為、放すことが出来ず
家でみとってやろうと思っていた。
じきに寿命が尽きるだろうと思っていたら、
まさかの産卵をしよった。
あれから二週間以上経つ。
もう羽がボロボロで、
いくら羽ばたいてみても飛ぶことは出来ない。
でも毎日、ちょっとだけジュースを飲む。
そしてカゴを開けてやると、必ず外に出ていく。
ムシの生と命について考える
昆虫は、「衣食足りて礼節を知る」の完全に真逆だ。
礼節なんて知ったこっちゃねえ、こちとら自由に生きて死ぬんじゃ!
と主張してるように私には思える。
おそらくこれは投影というんだと思う。
食べるものや住むところを設えてやって、
さぞ虫も感謝してるであろう、なんて人様の完全な思い込みだ。
寒かろうが、飢えようが、空の下を自由に飛び回って、
子孫に命を繋いで、いいタイミングで死ぬ、
これがサイコーなんだと思う。
人間の決めた境界線の都合で、
日本では外来生物扱いのアカホシゴマダラは
恐らく外界だったら、
とっくに鳥に食べられて死んでる筈なのに、
無駄に生きながらえてしまってる。
私は、
殺してしまうのはかわいそうだと、
生かしているのだが、
こうなってくると、
残酷なのはどっちなんだろう?
でも、虫はどんな状況下にあっても
死ぬまで、生きる。
蝶は飛べなくても羽ばたくことを諦めない。
カゴが開けば出ていく。
何やら使命感を持って生きてるんじゃないか、とさえ思えてくるのだ。
『虫けらのような命』とか『一寸の虫にも五分の魂』とか、
虫の生命について言及した言い回しがありますが、
虫を飼っていると、
その言葉は一般的に信じられている意味とは真逆だと感じます。