私とゲーム
私は小さい頃から、ゲーム全般に全く興味がなく、
ただの一度も自分のゲーム機を持ったことがない。
小学校の低学年の時には、当時流行ったゲームウォッチを
兄が持っていて遊ばせてもらった記憶はある。
あれは楽しかった。ハマったな〜。
でもすぐにやらなくなってしまった。
今にして思えば、吝嗇な気質の兄から
ゲームを貸してもらうのが大変だったから、
次第にゲーム自体が面倒臭くなってしまったのではないかな?
末っ子あるある、かもしれませんね。
一世を風靡したスーパーマリオも全く触ったことがない。
とはいえ、中学・高校と、
ゲームの話題について行けなくて困ったという記憶もない。
娘はゲーム好き
小学2年生の娘は、とにかくゲームがやりたくてしかたない人。
スイッチっていうやつが欲しい、
マイクラをやりたい、
と1年生の時から言ってる。
私はゲームの何たるかを全く知らないから、
ゲームは与えたら最後、勉強も外遊びも全くしなくなる、
人類堕落兵器なのでは・・・とただ怯えておりました。
そんでも、スマホやタブレットでゲームを出来るようにしたり、
娘のやりたがっているマイクラ(これが小学生にすごい人気で!)に
類似した無料ゲームをapp storeでダウンロードしたり、
なんとなく水際で食い止めてる、みたいな感じに最近はなっていた。
時代の趨勢には逆らえない
もう、ゲームの趨勢を留めることは無理だし、
ゲームを禁止することには意味がない。
ゲームやインターネットのない世界に戻ることはもうないし、
ゲームを禁止したところで、
子供たちが、竹馬や凧揚げやコマ回しをして
遊ぶようになるわけではない。
(そもそも、そんな遊びが出来る空き地もないわけで。)
77歳になるばあさんも、昨年からスマホを持つようになった。
ばあさんは、ラインやらユーチューブやら検索やら、
全く出来るようにならず、しょっちゅう聞きに来るが、
説明しても全く理解してくれない。
年取って、子供にめんどくさがられながら教えて貰わなきゃいけないの、
私はやだなーと思った。
でも、私だって、子供の好きなボカロとか?VRとか?
Vチューバーとか?Tik Tokとか?
何が何やら全くわからない。
子供の間ではこれが流行ってるのね〜
私は興味ないけど〜
と言って情報を遮断していたら
多分ばあさんと同じ末路が待っている。
生涯学習ってこういうことではないだろうか?
私も、スイッチやマイクラを実際に触って見て、
どういうゲームで何が面白いのか、
どういう遊び方が出来るのか・・・などを
めんどくさがらずに学ばねばならない、と切実に感じた。
娘の好きなものを理解したい、という気持ちもある。
私は、生まれて初めて、自分用のゲーム機を買おうと決めた。
娘と一緒にヨドバシアキバに
朝、10時くらいに起きてきた娘に
「おかーちゃんは、ニンテンドースイッチを自分用に買おうと思う。」と話をして
一緒に秋葉原に自転車漕いで買いに行った。
店員さんに、「今日から遊ぶには何が必要なんですかー?」と聞くと、
本体とソフトがあればすぐ遊べます、との答え。
娘と相談して、『マインクラフト(マイクラ)』と『スプラトゥーン2』を選んだ。
帰りにお昼を食べにマックに入ると娘が隣でニヤニヤしている。
「なにニヤニヤしてんだよ。気持ちわりいな。」というと、
「だって、スイッチが家にあるって考えただけでも、嬉しい・・・」
「やっと、時代に追いついたって感じ・・・」
などと言う。
娘がこんなに喜んでいる姿を見ると、私も嬉しい。
先日まで、あんなに敵視していたゲーム機なのに!
「貸してあげるけど、私のだからね!」と一応、釘をさしておいた。
「自分用に買う」の効能
「おかーちゃんが自分用に買う」というテイにしたのは、
もちろん、自分で遊んでみよう!と思ったからというのもあるのだが、
兄弟がいるからでもある。
当初我々は、娘が三年生になったら、お小遣いを与えて、
そのお小遣いで買ってもらおうと話していた。
でも、幼稚園の弟も当然ゲームをやりたいので、
そのやり方だとお姉ちゃんのゲーム機を借りることになってしまう。
そうすると、プレイ時間の配分で揉めた時は、必ず娘は
「私のだからね!」と主張するようになるだろう。
そうすると、私たち親もそこには介入できなくなる。
そうすると、結局弟も「自分のゲーム機が欲しい!」と言い出すだろう。
そんで、例えば6歳の誕生日に買ってあげるとか約束したら、
娘はどう思うだろう?
「私は三年生まで待って、自分のお小遣いで買ったのに、
弟は一年生で、しかも買ってもらった!ずるい!」
・・・って、思うんじゃないだろうか?
そうはならないかもしれないけど、
この状況になってしまったら私が娘に言えることは、
「申し訳ありませんでした!」と謝るだけだな。
自分用に買う、というのはその点でグッドアイディアだなと思った。
あと、
「そんなことするなら、もうゲームは貸して上げないよ!」
とか
「ゲームしたけりゃ勉強しなさい!」
などにも使えそうである。
スイッチを買っておうちに帰ると、家にはおとーちゃんがいたので
あとは任せて息子を幼稚園に迎えに行った。
自分用に買ったゲーム機だが、
多分私一人だったら、当分梱包が解かれることはなかったであろう。
家についた時点で既にめんどくさくなってしまっていたから・・・。
幼稚園から帰ると娘はスプラトゥーンで遊んでいた。
ヒカキンの実況中継をずっと見ていたから、
何をどうすればいいのか、大体わかってるみたいで、スギョイ。
スプラトゥーンはオンラインで遊ぶのが楽しいゲームなので、
オンライン登録をした。
ファミリーでオンライン登録したので、
当然私のアカウントも作った。
これも、「自分用に買う」にしなかったら
自分のアカウントは作らなかっただろう。
「自分用のゲーム機」を買ったというより、
「参加権」を買ったという感じだ。わかりにくいだろうか。
おとーちゃんと子供たちがゲームをしてる、この写真。
「自分用のゲーム機」という意識が自分になかったら、
この3人の後ろ姿に対する感情は、別のモノになっていたかもしれない。
(3人で楽しそうね。私はゲームはやらないからいいけど!)
・・・であったかもしれない。
(ゲームなんて何が楽しいのかしら?勉強もしないで!)
・・・であったかもしれない。
私が、疎外感を感じることなく
よゆ〜でカナヘビと遊んでいられるのは、
(みんな私のゲーム機で楽しそうに遊んでるわ〜)
という優越感があるからかもしれない。
(ちなみに、未だ私がゲームをやるターンは回ってきてない。)
(私のゲームだからね!)