情熱だけでは続かない。今こそ習慣化を取り入れよう!

娘はピアノの練習を全くしてない

先日、娘のピアノのレッスンに久しぶりに付いていった。

娘は10月に発表会が終わってからというもの、

全く練習しなくなった。

  

「練習したら〜?」などと声をかけようものなら

うぎゃあああああと奇声を発して威嚇してくるから、

もう何も言わないことにした。

  

テキストも簡単なものだから、練習しなくてもなんとかその場はしのげる。

まあ、先生は練習してないなって思ってるだろうけど。

  

おとーちゃんに、

「練習しないでピアノのレッスンに行く意味ってあるの?」と聞かれ

ぐぬぬぬ・・・となったけど

「ピアノの先生のところにいくのが目的なのだよ(焦」と答えておいた。フウー

  

先生のところで30分のレッスンを終えて、

帰りにマックでポテトを食べようか、と誘ってみた。

ピアノと楽しみがなんらかの形で結びついたら

練習しようという気にもなるかもしれない、という謎理論。

そしたら、ハンバーガーも食べていいか?という。

おいおい、もう15時過ぎてるんですけど。

さすがにハンバーガーはおやつではないだろ。

バーガーは諦めてもらったが、マックフルーリーというシェイク?と

さらにジュースまで頼みよった。食い意地ぃ・・・

  

私はホットコーヒを飲みながら、

口から出る言葉が全て説教になる魔法にかかっているので

ひたすら沈黙していた。

娘もしゃべらないから、ケンカしてる親子みたいにみえたかもしれない。

  

私は頭の中で(なんとかピアノの練習をするよう説得できないかな?)と

考えていたのだが、その時(あ、私だって練習してない!)と気付いてしまった。  

自分も練習してないことに気付いた

  

実は私は昨年の晩秋から着物の着付けを習っております。

10年前、まだ子供がいない時に2年ほど着付け教室に通って

師範とかいう免状をとった記憶があるが、もうすっかり忘れてしまった。

子供も大きくなったし、たまには着物でも着るかと箪笥から引っ張り出してみたら

長着はなんとか着れたけど、帯は完成しなかった!

頭は憶えてなくても手が憶えてるかな?と思ったら手も憶えてなかった。

それで近所の着物屋さんで週に2回先生が来てると聞きつけて

もう一度教えてもらうことにした。

着付けは先生が違うと、やり方が異なるから

ゼロスタートのつもりで教えてください、とお願いした。

一応、基礎があるから呑み込みは早いと先生は言ってくれたけど

まだ全然着て出かけられるレベルではない。

なにしろ帯が全然うまくできない。

  

上手くできないですぅ〜

わかんないですぅ〜

  

と先生に言うと、ちょっとずつ出来るようになりますよ〜😇と先生は

優しく言ってくれる。

だから、そのうち出来るようになるかな?と思いながらレッスンに通ってる。

  

あ、でもさ。

私、家で全く練習してないな。

  

「練習しないでレッスン行く意味あるの?」

頭の中で、おとーちゃんの言葉がリフレインする。

10年前に習っていた時は、仕事から帰ってから練習したり

下手なりに週末は着て出かけたりしたものだ。

それからたくさんの着物をその時期に買ってもいる。

十数着はあるんじゃないかな。帯もたくさん。

着物に対する情熱があったのね。

今はそこまでの情熱はないし、

着物買うお金があったら子供たちのために使うと思う。

だからこそ、情熱がなくなったからこそ、

1日に30分でも時間を作って練習しないといけないのだ。

先生みたいに綺麗に着物を着たいわ〜と憧れちゃってるのね。

でも努力はしてない。これはヤバい。まずい。

見て見て〜綺麗に着れたよ〜

  

情熱だけでは続かない。それで習慣化なのか、と今更気付く。

情熱というのか感動というのか、

とにかく私は感情が動かないと何もできないところがある。

何らかの「情」が発動しないと夕ご飯のメニューさえ決まらない。

勉強も仕事も趣味も、情熱が長続きしないから身につかないのだと思ってた。

  

でも違うんだな。

  

そもそも、情熱を動力にしようという考えがよくないのだ。

情熱という動力は退屈という気持ちがちょっとでも湧いちゃうと腐りやすい。

だから一番力がいる初動だけ情熱でえいやっ!としたら

あとは自動化するのがきっといいんだな。たぶん。

  

これが世間でよく聞く「習慣化」ってやつか。

  

遅ればせながら、それに気づいた。

もっと早く気付いてたら、人生変わってたかもしれないけど、

人に言われて出来ることじゃないからな。

娘もきっと私が何を言っても、練習しないだろう。

それでいいのだ。

気付いた時にやればいいのだ。

  

私は今だからこそ(退屈を乗り越えて)「習慣化」に向き合う「情熱」がある。

この「情熱」を火種にして練習を「習慣化」して着物を着れるように頑張ってみよう。

  

娘のピアノは、今の段階では

やはり「先生のところに行くことに意味がある」と言わざるを得ない。

人にはそれぞれ発達段階ちゅうもんがあるからね。  

子供から「情熱」という火種を取り上げることだけはしたくないな。

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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