PTA退会の件で学校からようやく電話があって、明日会合を持つことになった。

PTA退会の件で学校から連絡があり、

明日再度会合が持たれることになった。

 

↓前回の経緯です。

 

一体、何を話し合うと言うのだろうか?

 

退会届受領書をくれるというのなら、

郵送か幼稚園に行った時に先生が渡してくれればよいし、

そもそも校長園長PTA会長が雁首揃えて

一同に介する必要がないと思うのだ。

 

メールやズームのやりとりで十分なのではないだろうか。

 

学校に呼び出すというところに

インターネット回線には乗せることが出来ない

何らかの力を利用したい、という意図を感じる。

 

同調圧力である。

 

明日は私がひとりで行くので、

4対1、しかもアウェイである。

 

おそらく日本語なんだけど意味のわからない言葉で

ニコニコ笑いながら、

「PTA退会を総会に諮ったところ、認められませんでした」とかなんとか

言うのではないだろうか、と想像して

身悶えしている・・・。

 

「はあ・・・。そうですか・・・。」

 

とか言って、すごすご退散するのだろうか、私は?

 

正直、退会届を出せば自動的に退会になると思っていたから、

それから先のことは考えていない。

 

『PTAは任意団体である以上、入退会は自由』

法律でそう決まっているのだから、

やめられない理由は・・・ないと思うんだけど?

 

まあ、まだ、何を言われるのかはわからない。

もしかしたら、前向きな回答を得られる可能性もある。

私は、「退会する」ということが目的なので、

別に学校側、PTA運営側と対立したいとは思っていない。

 

自分にとってこれは「人権」の問題なのである。

 

ほとんど強制的に入園・入学とともにPTAに加入していて、

任意団体であるということも知らなかった。

辞める権利があることも知らされていないのだ。

 

「PTAはイヤだ」と内心で思いつつ、

声をあげないで、

忍耐つよく

責任をもって仕事をやり遂げてしまう。

自分だけやらないと、「みんなに」ずるいと思われる、

「みんなに」悪いし・・・。

 

私は私という主体なのに、

「みんな」という架空の存在に

脳味噌が乗っ取られてる。

 

「私はPTAはイヤだ!」とすらいえない主体が、

「私は戦争はイヤだ!」なんてとてもじゃないけど

言えるわけがない。

 

『この世界の片隅に』という漫画を読んだ時や、

『おしん』というドラマを見た時、

戦争というのはいつの間にか始まっていた。

 

どちらの作品も女性の主人公が、

内心では、イヤだなと思っているけど、

表だって声をあげることは出来ない。

 

敗戦を迎えて、憤ったり悲嘆にくれたりする描写があると

思うのだが、国や男どもの熱狂した戦争に

巻き込まれて酷い目にあった!という被害者意識を

私はそこに感じる。

 

もっともなことだ。

 

「イヤだ!」って声をあげても、戦争は止まらないだろう。

個人は無力で、モノを言えば自分や家族に危害が及ぶ可能性だってある。

 

私は、「戦争はイヤだ!」って声をあげて死にたい、と

近年は思うようになってきた。

たまにシミュレーションしてみるのだが、

とても怖くて、腹の底から震える。

 

自分1人が声をあげても、多分何にも変わらないし、

無駄死になんだろうけど、

生きた証にはなるかもしれないな。

・・・

・・・

明日、死にに行くみたいな文章になっちゃったな・・・

 

えーと、

 

PTAは戦後の占領期にGHQの主導で出来た民主的な組織だと

思っている方も多いかと思うのですが、

それは「PTA(父母と先生の会)」という名称だけで、

実質は戦前からある「母の会」「大日本連合婦人会」との

連続性があります。

 

戦後に急速にPTAが全国に普及した背景には

戦前からあるこうした組織の存在があるからなんだそうです。

 

 

だいたいさー・・・

 

父母と先生の会なのに、

なんで先生とPTA会長が結託して退会を阻止するんだよ・・・

 

保護者の側に立って学校側と交渉してくれない

PTAならば本当に存在価値ないですけど。私にとって。

 

 

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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