『自分の薬をつくる』(坂口恭平著)を読んで、楽しく日課に取り組むようになりました。

斎藤環氏の書評で本書を知った

先日、ツイッターを眺めてたら、

誰かから精神科医の斎藤環先生の書いた文章が

リツイートされてきた。

 

 

それは坂口恭平さんの『自分の薬をつくる』という書籍の書評であった。

 

書評を読み、この本にすっかり興味を持ってしまい、

早速アマゾンで購入・・・しようとしたら、在庫切れだった。

ので、楽天ブックスで書いました。

 

斎藤環さんの書評にこの本の内容は網羅されているので、

詳細を知りたい方はそちらを読んで下さい。

 

躁鬱人・坂口恭平さんと「自分の薬」

坂口さん、私はツイッターでたまにお見かけする方、

畑をやってる人くらいの認識でした。

 

ウィキペディアをみたら、建築家で作家でアーティストとかなり多才な方のようです。

 

 

で、その坂口さんは2009年に躁鬱病と診断されて、

今は寛解してて薬はまったく飲んでないそうです。

 

では、どうやって回復していったのか。

 

それは、「自分で薬がつくれるようになったから」だという。

 

薬を調合する、といっても精神安定剤を自分で調合しちゃうわけではなく、

「薬」っていうのは「日課」のことであり、新しい習慣によって

体が変化させようってことだ、と坂口さんは言ってます。

 

薬を飲むってことは何をしているかと言いますとですね、

薬は「毎日」飲むんですから、風呂、歯磨き、睡眠とかの仲間なんですよ。

つまり、薬ってのは「日課」なんですよね。

 

毎日飲むから、薬はすなわち日課だ、

というところに論理の飛躍がもちろんあるのだけど、

私はこの薬=日課説にすごく納得してしまいました。

 

そうか、薬は日課だったのか・・・!

 

薬は日課と思うと毎日楽しい

クスリは逆さから読むとリスクである、

とかいうじゃないですか。

私はなんとなく薬とか、サプリメントとかに

ネガティブなイメージを抱いてました。

 

そのくせ、頭痛がするときはそっこーでロキソニンを飲むのですが。

 

それから、毎日のルーティンワークについても

退屈でやりたくないけど、

やらないとダメになってしまうような気がして

しぶしぶやる・・・という感情があって、

それがたぶん、家事の諸々をなるべく後回しにする原因になってるのだと思います。

 

で、この坂口さんの「薬=日課」説を読んだら、

価値観が180度変わっちゃった。

 

薬もすごく身体に良いもののように思えてきたし、

日課、習慣、ルーティンワークもキラキラ輝いてみえてきました。

 

「しおり」も作ってみた

さて、その日課を日々遂行しやすくする為に

坂口さんは「しおり」を作成することを提案しています。

「しおり」というのは、遠足のしおりとかのあれです。

 

 

坂口さんの1日はこんな感じだそうです。

 

私もさっそくしおりを取り入れてみようと思ったのですが、

こんなに細かく決めるのは無理、できない・・・。

 

だから、とりあえずこんな簡単に書き出してみました。

 

 

あ、もちろん、細かい家事は他にもありますよ?

それはまあ書くまでもないかなと、私は思いました。

 

ここに書き出したのは、やる気が薄くて

もしかしたら出来ないかもしれない類の予定です。

 

やりたくない!って気持ちが強いもの。

 

やった方がいいのは重々承知だけど、

昼過ぎくらいから、

「明日からやればいいか〜」という気持ちが

むくむく湧いてきて、結局やらなくて、

それはそれでモヤモヤするという・・・。

 

それらを思い切って書き出してみたら、

(書いたらやらなくちゃいけないような気がして、

その圧力にも耐えられない人)

ちゃんと出来ました。

 

それで、ここに書いてあることだけ、

今日はやればいいんだ、って考えたら、

いつもは、「なんかやらないといけないことを

やり忘れてるのでは?」みたいな不安感がつねにあるのが、

すごく楽になりました。

 

面白いものです。

 

おとーちゃんが、「たすくま」というアプリで

日々の用事を管理しているのをみて、

「私にはぜったいに無理!」って思ったのに、

同じようなことをしている。

 

思うに、「たすくま」だと、「これをやらないといけませんよ!」という感じが

どうしてもしてしまって、それがイヤだ。

それが「しおり」だと、「これだけやればオッケー」と逆に安心できたのです。

 

誰の声かで聞こえ方も変わるのかも

坂口さんは本書の中で、繰り返し繰り返し「声」について

言及しています。様々な場面で「声」についての話が出てくるので

「声」とは何か?私はまだ漠然としたイメージでの理解しかありません。

 

斎藤環さんの書評も「自分の<声>という薬」というタイトルです。

斎藤さんは次のように書いてます。

 

苦しいことを声にすること。

声にならないものを声にすること。

どういう状態が楽なのかを声に出し、自分自身に声を掛けること。

自分の不可能性ではなく、可能性を声にすること。

その、誰にも似ていない声(アウトプット)こそが、真の薬であるということ。

 

自分の主体が自分である、ということを

声にすること、言葉にすることで

確認するということなのかもしれません。

 

声とか言葉って、意味がわからないとただの音でしかない。

 

「たすくま」をおすすめされても、私には意味がわからなかったから

素通りしてしまったけど、

坂口さんの「しおり」をつくりましょう、という言葉は

「声」として私に届いた。

 

これは、『この「声」を発する主体は自分と同じ仲間だ』と認識しているからかな?

 

例えば、本書の中のこの行とか、私はすごく同感する。

 

「まず、あなたはホモ・サピエンスではない、ということを

自覚してください。」(p,134)

 

「ホモ・サピエンスにとっては簡単なことなんですけど、

そうじゃない人にとってはなかなか難しいことなんですよ。

他人が言ってないことは、他人は何も言ってない」(p,135、太字は原文)

 

この言葉を読んで、「ああ、仲間だ」と思った人は、

本書によって救われるところがある人のような気がします。

 

逆に、訳わからん・・・って思った人にとっては、

この本はあんまり面白くないのかもしれませんね。

 

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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