12月になってしまいました。
11月末までに何としてもやりたいと思っていた、
娘の英語の課題を11月28日に
応募することができました。
パスするかどうかはわからないけど、
かなりの完成度だと思います。
娘の「勝利への執着心」みたいなものが
メラメラして、
自発的、継続的かつ前向きに
お歌を練習して密度の濃い時間になりました。
こういう時の娘はほんとにかっこいい。
何でもできるんじゃないかなこの人って
思ってしまいますよ。
母のことの続き
先日の母との一件を、
幼稚園のお友達に話し、
旦那にも話して、
すっかりスッキリしてしまいました。
「感情をなかったことにしない」
これだけわかっていれば、
自分は娘に、同じ思いをさせないで済みそうな気がします。
そこから、母という人間の来し方、
について思いを馳せてみました。
母はこんな人
私の母は、
多摩美術大学を卒業してます。
絵本作家になりたかった人生でした。
実際、福音館の『こどものとも』から3冊、
出版しているので、
夢は半ば実現していると言っても良いのではないでしょうか。
絵本作家と並行して、
生活のために自宅で
子供の絵画教室を主催してました。
40歳をすぎて才能が枯渇してきた頃から
徐々に絵画教室の方がメインの肩書きを
なっていきました。
40年の長きに渡って主催していた
絵画教室を昨年引き払って
自身の生まれ故郷であり
今は私たちが住む日本橋で第二の人生を送っております。
子供は3人で、私が末っ子、上に姉と兄がいます。
ちなみに離婚経験者。
母の性格
母の性格を一言でいうと
「何も覚えてない人」これにつきます。
本当に何の感慨もない、
いや、ないことはないんだろうけど。
人生が変わるほどの出来事も特になく、
ひとつのことで思い悩むことも
おそらくなかったのではないでしょうか。
楽天的で、同じことをずっと続けることが得意。
倹約家だし、子供と動物が好きで、
小さい頃はいろんな所に連れて行ってもらって
楽しい思い出ばかりです。
ここまで書いてみて、
「私の自慢の母です」と締められていても
おかしくない経歴だなと思いましたが、
そうは問屋が卸さないとこが面白いんですよねえ。
明るくて社交的で、
お友達も多いのですが、
なぜか家族には不評なんです。
外面が良いっていうのとはまた違う、
他人だったら楽しい人っているんだと思います。
何でだろう?って考えていたら、
「何も憶えていない」という所に
何かがあるような気がしました。
言ってしまえば、
思い出を共有しているからこその家族、
だと思うのですが、
母は私たち子供に関する
重要なエピソードは何ひとつ持っておらず、
あるのは改ざんされた記憶だけ・・・
何だか共有していたはずの時間を
無視されたような寂しさがあるのです。
「お母さん、見て!見て!」
子供はみんなそう言いますが、
まさか大人になった自分がそれを求めていたとか?
認めたくないけど。
それが母のことを肯定できない主な原因じゃないかな、
と思い至りました。
翻って己自身を鑑みると
私は母みたいに
絵が描けるわけでもないし、
長く同じ仕事を続けてきてもないし、
子供も3人いないし、
お友達も少ないし・・・
スペックだけ見たら絶対母には負けてるのですが、
不思議と母にコンプレックスは感じないし、
尊敬もしてないという。
母は、離婚した父のことも
まあ、語り出したら結構言うのだけど、
最終的には
「でも楽しかった。お金と女さえなければ別れたくなかった。」
っていつも言います。
色んなことを何も憶えてないから
恨みも残らないのかな?
私も母には言いたいことを全部言って、
いつも全く手応えなしだけど、
でも何の禍根も残らないから
言えるのだろうし。
何も憶えてないって案外すごいことかもなあ。
母のことは、
修行の足りない人だ、とか
人生の機微がわからん奴だとか、
文学的素養が皆無だから絵本が描けないのだ、
とか思ってたけど、
実は、人生の導師だったりして・・・!
少林寺の道場破りに来た青年が、
ヨボヨボの爺さんに
油断しててコテンパンにやられるみたいな、あれなの?
とか考えてたら、見る目変わっちゃうなあ・・・