子供の「ムカつくぅ〜」に対して「ムカつくぅ〜」で返してはいけない

今日思ったこと

娘の歯医者さんに同行。

クリニックは最寄駅から電車で30分ほどのところにある

乗り換えが一回。結構混雑している、特にJRは。

 

娘は電車の中でスマホ見ていて、乗り換え駅でも降りる時こそ画面を閉じたけど、

ながーいエスカレータの間にまたスマホを取り出したので

「歩きスマホはダメだよ」と声をかけた

 

返事はない

 

「あなただって、歩きスマホのおじさんにぶつかられたらムカつくでしょう?」

 

と追加で声をかける

返事はもちろんなく、ほっとけよ・・・みたいな表情をしている

 

こういう対応が返ってくると反射的に私もムカついてしまう

 

で、いつもなら、さらに〝追い注意〟をする

 

「怒ってんの?歩きスマホは危ないって言ってるだけじゃん」とか、なんとか

 

今日は、こうなる前に一つ気がついた

 

歩きスマホは確かに危ない

全ての人にやめて欲しい、と思っている

それを娘に注意するのは、悪くない

 

でも、それを彼女がうるっせえな!と受け取ったところで

私には関係ないのだ

ムカつくぅ〜と彼女が表現したなら、

そこからは彼女の問題なのであって、私の問題ではない

 

その時私は、

『私に対して腹を立てたのならそれはお門違いだ!』

と弁明したいだけなのだ

でも、それこそお門違いだ

 

じゃあ、娘から

「教えてくれてありがと」とか

「そうだね、これから気をつけるよ」

などの反応がかえってくれば、私は満足したのだろうか

 

素直に「はーい」と言ってスマホをしまう、というのが満点かもしれない、

でも娘がそういう反応を示した時でも、私は追いアドバイスをしてしまうかもしれない

いやむしろ、素直な反応が返ってきた時こそ

重ね重ね余計なことを言ってしまっているような気がする

そして、それが彼女をうんざりさせている可能性が高い

 

たかが子供のことを気にしすぎではないか?

相手の反応を気にしていたら、何も言えなくなってしまうのではないか?

など、思われる方もいるかもしれない

 

でも、じゃあ、私自身がそれをやられたら?と考えたら

 

歩きスマホはやらないにしても、

たとえば、私はツイッターを年柄年中みてるわけだが

それを「スマホの見過ぎはよくないよ」とか言われたら

そうは言っても見たいわけで、すぐには変えられない

受け入れられないわけではないけど、全くの同意というわけでもない

大体、人になんか言われること自体、嫌だ

だから、やっぱり、ムカつくぅ〜という顔を挟むと思うんだよね、私も

微妙な機微が、その「ムカつくぅ〜」の顔の中に凝縮されている

それを経ないことには、次の段階にはいけない

そういうものなのだ

で、追い注意をしてしまえば、この正当な心のステップを踏み潰してしまうことになる

 

心が「はいはい・・・」と従う準備をしてるのに

追い討ちをかけるように何か言われれば、

「なんだとー?」と反発心だけが燃え上がってしまうのだ

娘のように根が従順な人だと、燃え上がった反発心を自分で処理しようとするから、

さらに疲弊させてしまうだろう

 

娘とふたりでゴハンを食べている時など

私が話さなければ、ほとんど無言である

私は沈黙が怖い派なので、無駄な話を延々としている

娘が話をしたい時だけ、話してもらって

私はただ聞いてみるのはどうだろう?と思った

 

娘はポケモンのクイズなどを投げかけてくるだけである

私は、退屈してしまった

 

私の話にも、娘は退屈しているのだろう

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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