超絶退屈している娘に
久しぶりに
絵本を読んであげているので、
感想文もぼちぼち書いてみます。
『こんとあき』
林明子作、福音館書店、1989年。
林明子さんといえば、
『はじめてのおつかい』『おつきさまこんばんは』など
数々の名作を生み出した
日本絵本界の・・・
何ですかね?わかんないけど。
先入観との闘い
「全国学校図書館協議会選定・必読図書」
なんてマークが表紙にぺたりと貼られていますと、
私なんかは、知育・情操教育を主たる目的として
描かれた絵本なのかな?と
先入観と偏見にまみれた色眼鏡で見てしまい、
手に取ることすら躊躇してしまいます。
ほんわかムードの、それでいて隙のない
繊細で緻密なタッチの絵と、
悪い人が1人もでてこない、
どこまで行ってもファンタジックな物語。
子供ってさー、もっと残酷な生き物なんだよね、
とか
子供の世界観ってもっと不条理なんだよね、
とか!
もっともぶった顔して
批評のひとつもしたくなるってもんです。
何というか、完璧。
取り付く島もないと感じていたのですが、
改めて読んでやっぱり名作。
悔しいけれど、泣いてしまいましたよ・・・。
あらすじ
こんはきつねのぬいぐるみ。あきが産まれた時におばあちゃんから
送られたものです。こんとあきはいつでも一緒です。
あきが大きくなるにつれて、こんの体は次第にほころびが目立ち始めます。
あきとこんは、おばあちゃんにきれいに修理してもらおうと思い立ち、
2人でおばあちゃんの住む砂丘町まで旅にでます。
道中、電車に乗り遅れそうになったり、こんが犬にさらわれてしまったり、
困難に見舞われますが、2人はおばあちゃんの家にたどり着きます。
そして、おばあちゃんの手によって、こんはできたてのような
きれいなきつねになって、おうちにかえりました。
ぬいぐるみと子供
私たち大人の住むこの世界では、
ぬいぐるみのきつねは、
お話ししたり、
お弁当を買いに行ってくれたり、
お風呂はいやだと逃げ回ったりは、
普通、しません。
でも子供の世界では、
ぬいぐるみはお話しするし、
ごはんも食べるし、
お医者さんになってくれたりもします。
お姉ちゃんはぬいぐるみを持ち歩く子ではなかったけど、
2歳児はペンギンのぬいぐるみを
いつも持って出かけます。
たぶん、2歳の息子とペンギンは
お話ししてるし、
2歳の息子の世界では
ペンギンのぺんちゃんは
実在しています。
このお話を小さい頃に読んだ記憶はなく、
初めて読んだのは娘が3歳くらいのときでしょうか。
そのときは、実は、
ぬいぐるみと少女が旅するなんて
非現実的すぎて、
大人の創作がすぎるんじゃないかと
穿った見方をしてました。
息子が産まれて、娘とは全然違うように
ぬいぐるみと接しているのを見ているうちに、
この絵本の世界観をやっと理解できるようになりました。
リアルと想像のはざま
小さい子供は、大人とは違い、
現実と非現実の境目が曖昧だと思います。
自分が幼稚園の頃、
海に行って、クジラが2頭泳いでいた、と
絵日記を描いて発表したことがあります。
クジラは実際は大きな二つの岩で、
それが岩なのはわかっているんですが、
同時に本当にクジラでもあったんです。
子供の自分の頭の中では、
クジラが生き生きと泳ぎ回って、
一緒に遊んだという空想が
現実を上回るほどリアルに感じられたのだと思います。
子供の目線と大人の目線
子供のころの情景を、
大人になって言語化して表すと、
非常にもどかしい、言葉にすると
消えてしまう何かがあって、
優れた絵本作家は
それをすくいとって
お話にしているのだなあと感じました。
あきにとって
「こんと旅をしたんだよ!」
「旅ではこんな冒険があったよ!」
「こんをおばあちゃんが修理してくれたんだよ!」
全部、本当の話で、全部リアル。
大人から見たら、
「ぬいぐるみを持って、おばあちゃんちに電車乗り継いで
初めてのお出かけでした。ぬいぐるみはおばあちゃんが
きれいに修理してくれました。」
というだけの話かもしれません。
虚実ないまぜの子供時代が、
自分にも確かにあった!って思い出した時に
絵本作家の偉大さを知りました。
子供の心を宝物のように大事に持ち続けている大人、
しかもすばらしい画力と文の構成力もあって、
人に伝えることができるなんて。
すごいなー。
今6歳の娘も、当然このお話から何かを感じ取るだろうし、
小学生になったとき、
大人になったとき、
そして子供ができたとき、
子供が増えたとき、
様々なタイミングで読み返して
多分その時々で違う感想を持つことでしょう。
そういう鑑賞に耐えうる力がこの本にはあるから、
長く人々に読まれ続けているんだろうなあ、
と納得しました。