夫婦でせっせと断捨離中です。
私よりおとーちゃんの方がせっせと捨ててます。
やましたひでこさんの本を読んで、
非常に感銘を受けつつも、
どうにも素直にポイポイ捨てる気には
なれない私とは違って、
おとーちゃんは、何かに取り憑かれたかのように
ひたすら、隙あらば、捨ててます。
同じ本を読んでいても、
私は「断捨離とは生命の新陳代謝」というところに
共感したのですが、
おとーちゃんは「断捨離とは『出す美学』である」という
ところにピンと来たみたいです。
おとーちゃんは、私から見ると私より、
物欲があるというか、
モノが好きなタイプの人です。
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結婚する前に、この人はポルシェに乗っていました。
それで、ポルシェで山梨の温泉に行って、
日帰り温泉の大広間で、
後ろにいる4人家族の
お父さんを見て、
「あのお父さんは、ポルシェのオウナーには
なれないかもしれないけど、
俺がどんなに頑張っても
手に入れられないモノを持ってる」
という趣旨のことを、
相当虚無的な眼差しで言うので、
「私があなたに何かしてあげられないですか?」
みたいに思ってしまって、まあ、今に至る訳ですが。
このエピソードは
モノによってココロが満たされたり、
でも本当は満たされてなかったりするという
葛藤が見事に表現されているんじゃないかと思います。
私は車だったら、別に軽自動車でも、
ワゴンでもセダンでも、
目的地に連れて行ってくれれば
それで良いタイプなので、
そういうモノに対する執着心って
良いな〜って思います。
自分はモノに対して
非常に実用的な見方しかしてないから、
使われないもの=かわいそう
と考えてしまって、
なるべく使って捨てるように
心がけようという結論に至ったのです。
だから断捨離自体はなかなか進まない。
一方、おとーちゃんは
モノに付随している執着を捨てるという
意味合いが強いように思われます。
どんどん捨てる。
何がなんでも捨てる。
迷えば捨てる。
ちょっと、どうなの〜。
子供のおもちゃはまた別の話だから・・・
と思っていたら、
おもちゃのピアノが見つかってしまいました。
人におさがりを貰ったのですが、
カワイピアノ製のグランドピアノを模した
本格的なモノで、
とはいえ全然大事に扱ってないので
屋根の部分のネジが外れてしまって、
つっかえ棒はもうありません。
「捨てる?」と聞かれて
「・・・・・・・・・」
(子供がたまに引っ張り出して遊んでるし、
ボロいけど、うちには他に楽器らしい楽器もないから
取っておきたいけど、そういう考えで取っておいても
使わないものが増えるばかりだから
捨てた方が良いんだろうなあ・・・
てか、捨てたいんだろうなあ・・・・)
と、逡巡してしまいました。
そしたらおとーちゃんが、
「足は?」と聞きました。
あし!
絶対に使うことないな〜と
かなり以前に捨てました。
「・・・捨てた。」
というと、
うーん・・・みたいな感じで、
屋根の部分のネジを直してくれました。
そのとき、あっ!って思いました。
おとーちゃんはピアノが邪魔でいらないんじゃなくて、
ちゃんと足を付けた状態で、
グランドピアノ然とした美しい状態で、
長椅子の下に押しやっておくのではなくて、
部屋のどこかに居場所を作って
置いてあげたいってことなんじゃないの?
私にとっては、
子供が遊ぶおもちゃのピアノでしかなかったけど、
おとーちゃんはそのピアノの品格みたいなものを
考えて、綺麗に見えるようにしてあげたかったんだなって
思ったら、ピアノにも、また、おとーちゃんにも
申し訳ない気持ちになりました。
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結婚する前、付き合ってた頃に、
松竹梅と、
例えばうな重のランクがあったとしたら、
私だったらお値段考えて
梅もしくは竹で悩むタイプ、
おとーちゃんは松を頼みたいけど、
みんなに合わせて竹、みたいな気遣いをする人だな〜と
思っていたことを思い出しました。
一緒に住むようになって、
子供ができて家族になったら、
何だか自分ばっかり
我慢してるような気になってたけど、
おとーちゃんも、私と一緒にいることで
自分の思うようにならないことが沢山あって
妥協して妥協して妥協して・・・生きてるんだろうなあ。
かわいそうに。
でも、まあ、しょうがないよねっ!
四柱推命では、私とおとーちゃんの相性は最悪で。
でも、相性が悪いから、
結婚生活が最悪の結果に終わるかというと
そういうことではないそうです。
相性の悪さを、お互いの努力で乗り越えることで
より強固な絆を育むことができる(らしい)のです。
異なる人間が一緒に暮らしているのだから、
当然違いがあるわけで、
違うことは悪いわけことじゃない。
良いところは取り入れて、新しい形を作っていくことが
大事なんだろうと思います。
断捨離、やっぱ深いな・・・
というか、住まいというのは
悲喜こもごも。
作り上げていくもの、なんですね。