「エモい」のエモは
「エモーショナル」のエモです。
「エモい」とは?
「emotionalとは、感情的、情緒的、感情に動かされやすい、
などの意味の英語。エモーション(emotion)の形容詞形。
英語では、emotional person(感情的な人)とか
emotional decision(感情的な判断)の言い方で用いられる。」
ーーーweblio辞典より引用
英語でいうところのエモーショナルには、
感情的というネガティブな語感が第一義的にくるけれど、
日本語になった「エモーショナル」転じて
「エモい」は感情的というよりは、情緒的、感傷的、叙情的といった
側面が強調されて使われているような気がする。
「エモ」との出会い
そもそも「エモい」なんて聞いたことも、使ったこともないという
大人はたくさんいると思う。
私が「エモい」という言葉を初めて聞いたのはいつだっただろうか?
私の場合、若い頃、邦楽ロックリスナーだったので、
初めて「エモい」という言葉を聞いたのは、音楽の文脈の中だった。
たぶん、2000年になる少し前ではないだろうか。
80年代にはハードコアと呼ばれていた高速2ビート・
絶叫系の音楽から、メロディのある歌ものが分岐して
90年代に入ると、それがメロコアと呼ばれるようになった。
さらにメロコアの中でも、叙情的なメロディで歌う
バンドのことがエモコアと称されるようになって、
そこで初めて私は「エモ」と出会ったのだと思う。
「メロコア」「エモコア」という言葉が流通しだした頃、
漠然とだけど、ロックという音楽が細分化されて消費されていく・・・
ファッション、音楽、生き方、それらをひっくるめて
「ロック」と呼んでいた時代はもうとっくに終わってるんだなあ・・・
みたいなことを感じた。
自分の青春はロックとともにあったから、
そのころやっぱり青春は終わったのだろう。
帰属先を一つ失ったという感覚はあったように思う。
そういう出会いだったこともあって、
「エモい」なんて軽い言葉、自分は冷笑的に使うしかなかったし、
そういうものとは一定の距離を置いていたかった。
「エモ」との再開
それが20代の後半に差し掛かった頃だとして、
それから20年くらいの月日が流れて、
改めて今年、「エモい」という言葉に出会った。
今年の自分を振り返ると、8月からブログを始めて
日々の出来事を文章で綴って見た時に
自分が、こんなにも感情というものを核にして
物事をみているのかと思い知らされた。
ほとんど人の感情の部分にしか興味がない、
と言っても過言ではないかもしれない。
それ以外のことに思いが至ってない。
そして、この傾向は最近加速度を増している。
江戸の歴史本を読んで、家康の都市開発の壮大さに思いを馳せたり、
キュウレンジャーを見て仲間を信じる心にグッと来てしまったり、
子供達の成長した姿を思い浮かべるだけで涙が出てくるという。
ほんの1年前はここまで感傷的ではなかった。
いや、感傷的という言葉だと、
つねに過去を振り返って悲しくなっている感じがする。
自分の心の中の、ロマンに感じ入っている部分を
網羅する言葉はないだろうか?
それから人間存在の時間性というか、過ぎ去った日々が戻らない
その儚さを実感していることも加味したい。
それらを適切に言い表す日本語はあるだろうか?
こういうの何ていえばいいんだろうなー?
って考えてたら、あ、これ「エモい」んじゃない?
と思った。
私、ずいぶんエモいんだ。
言葉は変化する
「エモい」という言葉は、20年くらいの月日を経て、
英語の「emotional」とも日本語の「エモーショナル」とも違う、
「エモい」としか言い表せない意味内容を獲得したというのは
言い過ぎだろうか。
少なくとも私はそう思った。
うまく言えないけど、「エモい」は「涙」みたいな感情に近い。
涙は言葉じゃないけど。
涙は「悲しい」「悔しい」「嬉しい」「グッと来た」などなど
様々な感情を一つの中に包含している。
涙を流すという行為はシンプルだけど豊富な情報を相手に与える。
受け取る相手に様々な解釈の余地を残す。
「エモい」という言葉も、発した側と受けとる側では
心象は全く違うかもしれないけど、
「エモいよな・・・」「そうだな・・・」
これで通じるものが確かにある。
「エモみ」と加齢の相関関係
ところで、「エモみ」というものは
加齢とともに増すものなのだろうか?
私の場合は、年をとって過去を振り返ったり、
昔はわからかなった感情がわかるようになったりと、
加齢とエモみの増加は比例している気がする。
しかし、75歳になる私の母は一向にエモみが発現しない。
おそらく死ぬまでエモとは無縁だ。
(余談だが、エロとも無縁な人生だった)
50歳になる旦那は、意外にも近年、エモみの増加が観察されている。
(当社比)
6歳の娘と2歳の息子は、エモみ成分を含んでいるのか未知である。
現場からは以上です。