フリーダムとリバティ

昨日は朝から雪が降ってました。

道路は前夜からの雨で濡れていたので、

積もりませんでしたが、子供は喜んでました。

娘の通う幼稚園は、通年半ズボンの着用という

規則があります。

 

といっても、

制服があるわけではないので、

動きやすく、長ズボンではない丈のものの中で、

季節によって各家庭の判断で調整して下さい、

くらいの割と緩い決まりです。

 

寒い日は、膝が隠れるくらいのズボンに

ニーハイソックスを組み合わせているのですが、

雪の日はさすがに、それでも寒いから

娘には長ズボンを着用させています。

 

その時は、先生に

「今日は寒いから長ズボンはかせてます」と

一応お手紙を書きます。

 

お手紙の用紙は、小学生の下駄箱の上に置いてあって、

その場で書いて、その辺にいる先生か職員さんに

渡します。

 

昨日は、お手紙を書いてたら、

隣で同じ年長さんのお母さんが、

早退する旨の手紙を書いてました。

 

何気なく、今日は早退ですか?と声をかけると、

 

「そうなの。息子が鬼が怖いから行きたくないって、

昨日から言ってて、どうしてもやだっていうから、

豆まき前にお迎えに来てあげるって約束で

やっと連れて来たのー!」

 

豆まきはお弁当の後だと先生に確認したから、

弁当食べ終わる頃に引き取りに来るんだそうです。

 

へえー、自由なんですねー。

と自然に感想を述べてしまいました。

 

私だったら、

鬼が怖いとか甘えたこと言ってないで、

さっさと幼稚園行って来なさい!とか、

 

鬼が怖くて幼稚園行けないくらいなら、

もう幼稚園なんてやめちまえ!とか、

言いそうですねえ…。

 

園の行事だから、出た方が良いのかな?という

思いもあるし。

 

何となく、学校とか幼稚園を家の都合で休むことに

罪悪感があるような気がします。

 

高校生のころはサボりまくっていたのに、

おかしな話ですねえ〜。

 

で、そのお母さんは、私の言葉を聞いて

 

「私、神奈川出身だからさー。

バリバリの管理教育で育ってるから、

規則の中に小さな自由を見出す、

みたいなの好きなんだよねー。」

 

というようなことをおっしゃる。

なるほど。

 

私は、制服のない都立高校の出身で、

毎日自分の好きな格好をして行ってたけど、

たまにセーラー服を他校の友人に借りて

着たりもしていました。

私立校の制服みたいな格好を毎日してくる子も

割といましたよ。

 

自由が所与としてある環境だと、

規律を自ら作り出してしまうものなのかな?

 

まあ、服のことはそんなに重要ではないけど、

高校時代のことを振り返って考えると、

与えられた自由の中で、どこまで許されているのか、

許可されていないことは何故やってはいけないのか、

ということを考えざるをえないので、

結果として自分ルールを作らざるを得なかったのか

と今になってみると思います。

 

それから、自由な環境のなかで、

自由に振る舞えない自分の限界みたいな

ことも感じていました。

 

糸の切れた風船みたいに飛んでいってしまう子も

友人には数多くいました。

 

自分はああいうのは出来ないなあ、

と感じたっていう程度のことなんですが。

 

いきがって、タバコを吸って酒を飲んでいても、

学校行ってる時点でアウトローでも何でもないわけで。

 

高校の時は、そういう勇気のない自分を

認めたくなかったけど、

今にして思うと、

割と真っ当なバランス感覚があったのだなー、

えらいぞ、自分。って感じです。

 

自分の通ってた都立高校の「自由」って

「freedom」の方で、神奈川出身の彼女は

「liberty」って感じがしました。

 

ウィキペディアによると、

 

「リバティ」は

「様々な闘い・運動を通じて手に入れた自由(人工的な自由)」であり、

「フリーダム」は

「漠然と存在している自由(自然発生的な自由)」を指す。

 

とのことです。リバティは抑圧された状態からの

解放というようなニュアンスですかね。

 

闘争して獲得してる彼女は、ちょっとしたたかだな、

と思いました。

 

それに比べて、私はなんだか素朴で理想主義的で、

子供っぽいな、と感じてしまいました。

 

いつまでも、ちょいワルに憧れる気持ちがあるんです。

まるで、闘争しないで自由を手にしていることに

後ろめたさを感じているかのようですねえ。

この記事を書いた人

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リョウコ

1974年生まれ。子供が2人と旦那が1人で、栃木県在住。
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